#45

おかやん

今しか出来ないことを

学校へ行って、卒業となれば、次に待っているのは就職だ。

2月くらいにはもう卒業後の進路は決まっていた。

夫が職場へと決めたのは、小さいクリニックでの治療師だ。

そこにはすでに卒業生が一人働いており、

雇ってもらいやすかったのもある。

町の内科医だが、お給料も手取りで20万はあり、

生活保護もやっと抜けられることになった。

仕事が始まるととにかく時間が無くなるというので、

思い出作りに二人で旅行へ行こうとなった。

実質、これが最後の旅行になった。

金銭的には苦しかったけど、

本当にこの時に行っておいてよかった。

まぁ、忘れもしないほど印象的な年ではあったが……。

なぜならば、この年に「東日本大震災」が起こったからだ。

震災当日は、夫は学校の謝恩会で、私は仕事をしていた。

旅行は震災の3日後くらいだった。

行き先が関西圏だったので、予定を変えずに済んだけれど、

3月もなかばというのに本当に寒い日が続いていて、

震災もあったもんだから、ホッカイロがどこにも売っていなかったのを覚えている。

ああいった自然災害は起きて欲しくないと心から思うけれど、

日本という国は地震がとにかく多いので、こればっかりはどうしようもないのだろう。




新しい生活

夫の職場からは

「予定の4月1日よりも早く出勤できないか」

と打診があったが、

今しかない時間を大事にしたいということで、

夫は予定通りの初出勤で職場へと通って行った。

人不足なのは今も昔も変わらない。

働き出して、夫は生き生きとしていた。

大勢の人と関わり、話が出来ることが楽しかったのだろう。

人が好きな夫らしいことだ。

職場で会ったことを楽しそうに話してくれる夫をみているのが、私も嬉しかった。

学校へ行ってた時よりも、より楽しそうに思えた。

まぁ、「雇われ」という立場、しんどいことは多かったとは思うが。

働いていた職場の院長さんは、

医者としての判断は素晴らしいものがあったらしいが、

モヤることも多々あったらしい。

あと、先に働いていた卒業生である先輩との仲が、イマイチ良くなかった。

価値観がどうしても合わないらしく、

一緒に働くにおいてけっこう苦労をしていた。

とはいえ、気の合う仲間もいたし、

患者さんとは上手く付き合っていた。

慕われていたのか「シロクマ先生」とあだ名をつけられ、呼ばれていた。

田舎の診療所だったので、

当時、野菜をいただくことが多かった。

夫が働いていたこの頃、

私はほぼ野菜を買う機会がなかった。

食べきれないほどの野菜を毎日いっぱいもらった。

私も夫も、

この頃が一番、公私ともに充実していたように思う。





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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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