#31「網膜剝離・その後」

おかやん

これまでのお話

夫は、よりによって誕生日に網膜剝離になるというイベントが発生した。

それは駆け落ちしてちょうど3ヵ月が経った頃のお話。

保険がなかったために病院へ行くという選択もできず、

夫はしばらく、その網膜剥離を放置していた。

社会保険について

ふとここまで書いてみて思った。

「後悔している」とこれまで何度ほど書いてきただろうって。

たしかに後悔は多い。

視力も家族も、失ったものは大きいと思う。

だからとて、不幸せでは決してなかった。

まぁ……苦労はしてきているけれど。

目にズバッと線が走り、

そこから血が吹き出し、

視界が血の色に染まるという、

どう考えてもヤベー状況だったけれども、

夫はその状態で半年、仕事をやり続けた。

正確には「病院へ行く」という選択肢を選べなかったというのもある。

国民保険に入るにも、

前職をブッチして出てきたせいで必要書類(退職証明書やら離職票)が集められなかったし、

しかもこのときはまだ、社会保険には入っていなかった。

ちなみに当時していた仕事は派遣だった。

「友達と一緒に働ける」という謳い文句がタウンワークに載っていたので登録したのだが、

希望人数が足りているということで別々に働いていた。

ちなみに私は、その時の派遣先で向こう17年ほどお世話になる。

結果からみれば別々の職場でメリットは多かったが、

当時は一緒に働けなかったことが残念でならなかった。

夫の当時の仕事は工場内でのピッキング作業だ。

その時に作った友人たちと夫は、本当に仲が良く、

夫がなくなる直前までご縁があった。

夫が亡くなった時も、お線香をあげに家まで来てくれた。

そういう人と繋がれたことと、

そういう人たちとずっと仲良くいられる夫の人付き合いの深さを、

私は尊敬している。







追記:来年からは体験記をメインに毎日更新していこうと思います。

   そのため、内容は短く、かつ、アイキャッチは描きません。

   時間に余裕がある時などは日記も書きます。

   来年もよろしくお願いいたします。

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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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