#21「駆け落ち前日」

前回の復習
駆け落ちすることを決め、私と店長はお金を集めることに遁走した。
なんとかお互い、おなじくらいの額を用意することが出来た。
これは、その前日の、私のお話。
1
#1を読んだ人なら知ってることを、もう一度書くことになる。
つまり私にはそれしか記憶がないという。
お金を集めるまでも色々あったこと。
泥棒にでもなった気分で、定期通帳を同居している祖母に気付かれないよう取り出したこととか。
その定期を引き出すのに、手続き中、ハラハラしながら待っていたこととか。
大学へ提出する「退学届」をもらってきたこととか。
ゼミの先生のサインが必要だったんだけど、家への露見が怖くて貰いに行けなかったなぁ。
仕方なく、自分が書ける部分だけ書いたっけ。
あと、当時の自分にとって、一番の価値だった同人誌・マンガを手放しても、5千円にすらならなかったこととか。
その時のあまりの本の重みに、肩を痛めたこととか。
今振り返って思い出せることなんて、そんなことばかりだ。
全部必死でやったけど、それでも私は一度も「やっぱり駆け落ちやめよ」とはならなかった。
とんでもなく、その意志だけは強かった。
そんくらい、この先の未来を店長と一緒にいたかった。
2
6月7日は駆け落ち記念日だ。
5月31日の定休日デートで浮かれに浮かれ、
6月1日の水曜に社長にバレ、
その次の定休日をXデーに選んだから。
話は少し変わるけれど、私が祖母たちと同居したのは、私が小学校4年生くらいの頃だ。
その時、母は持ち家をリフォームし、祖母たちだけの部屋を作った。
それを機に、私も弟と同室だった勉強部屋だったのから、それぞれの個室を与えてもらった。
けれど、稼ぎ頭である母に自室は無かった。
母が寝る時は、私の部屋に折りたたみベッドを設置して寝ていた。
すんげー小さい折りたたみベッドだった。
一緒に寝てるもんだから、自然会話は生まれるし、おやすみの挨拶は当たり前だ。
母が家のために頑張っていることは、21のバカな私でも理解していた。
母を尊敬していたし、自分もそうなりたいとずっと思っていた。
こうして「おやすみ」と言えることは、きっともう私の人生において最後だろうと、本気でそう思った。
だから「おやすみ」と言ったあと、こう付け足した。
「元気で」
なに今の、と母が動揺したのが、一変した空気から、雰囲気から、手に取るように感じ取れた。
私はこれみよがしに寝返りを打って、布団をかぶって、声高に「おやすみ!」とぶっちぎった。
何か言いたげな様子だった母を無視して、私は「もう話しかけんな」オーラを出した。
残酷だった。
でも、私は私の意志を押し通した。
残酷なことだ。
3
社会人の朝は早く、大学生の朝は遅い。
大学生になって、私は休み癖がつき、朝に弱くなった。
深夜バイトだったこともあって、大学の1コマ目の講義なんて出席することすらできないダメダメ学生だった。
そんな私を家族がどう見ていたのかは知らない。
大学生なんてそんなもんだろう、くらいに思っていたかもしれない。
自分で授業を選択できるから、1・2コマは取らないで3コマから授業を入れれば、出席は1時からで良かった。
そんなアレだから、私は4回生にも関わらず、卒業できない単位しか取得していなかったわけだが……
駆け落ちする日の朝、母はとっくの前に出勤していた。
待ち合わせは10時。
店長がすぐそこのサンクスで車を停めて待っている。
私は大学に行くにしてはけっこうな大荷物を肩に担いで、玄関に立った。
もう2度とこの玄関に立つことはないんだろうな、と思った。
21年、この土地に生まれ、この土地に育ててもらった。
さみしさと
不安と
喜びと
愛しさをこめて
家じゅうに聞こえるように
「いってきます!」
と言った。
自分の部屋には「探さないでください」の書き置きと。
旅立ちの朝、なーんていいもんじゃない。
これは、逃走の朝という。
自分たちがどれだけ悪いことをしようとしているか分かっていた。
それでも私は、何度も言うけれども、後悔はしていない。
あの人を好きになって、一緒に生活できて、生涯幸福だったと言い切ってみせる。
この想いは、二度と帰らぬと決めた場所で寝起きしている今でも、やっぱり変わりそうにない。