#17「21歳 大学生の頃」

前回までの復習
色んな人とのどうでもいい肉体関係を経て、ようやく店長(未来の夫)と付き合い始めた私。
秘密の恋人同士としての3カ月は、幸せと寂しさが隣り合わせだった。
だけど、その幸せも長くは続かない。
浮かれた自分たちのせいで、それは唐突に終わりを迎える。
今日はその時のことを書こう!
──と思ったんだけども、
その前にそこへ至るまでの状況を順を追って話させて欲しい。
駆け落ち一週間前……の「前日」
それは2005年の5月31日の火曜日だった。
なぜそこまで詳しく覚えているかって、その日が母の誕生日だからだ。
火曜なのも間違いない。(この話は最初の方にもしているけど)
火曜は二人の職場である焼肉屋の定休日だからだ。
私は店長に大型ショッピングモールに連れて行ってもらった。
郊外にあるショッピングモールで、完成して数カ月くらいの、めちゃくちゃデッカイショッピングモールだった。
この時が幸せのピークだったな、と思う。
「頂点に来たらあとは落ちるだけ」とでもいうのだろうか。
その日は……あまりに楽しすぎたのだ。
並んだお店の目新しさ。
どれを食べても美味しそうなフードコート。
好きな人と長く一緒にいられる時間の余裕さ。
寸暇を惜しんで会うアフターデートと違って、本当にその日は楽しかった。
まぁ、その分「また明日」する時はつらかったが。
最高の気分でその日は家に帰った。
母に誕生日プレゼントも買わずに、自分だけ楽しんだ。
生きていて良かったと、世界で一番幸せ者だと、そう思った。
当時の私
翌日はバイトだ。
この頃、本当に単位が危なく、頑張って大学に行っていた。
いや。危ないなんてもんじゃない。
結構マジで足りてなかった。
深夜バイトがたたって、学校に行けないことが増えていたし、就活と部活と卒業論文と単位の取得と、とたくさん頑張らなきゃいけなかった。
過去の自分のツケを払わされていると言い替えてもいい。
頑張りつつも、私の優先はやっぱり恋で、おそらくあのままだったら、私は大学を留年しただろう。
それくらい講義に出席してなかった。
できなかった、と言ってもいい。
そのうえ体調を崩していたことも多く、何度かテストすらを受けられなかったのを覚えている。
病院へ行ったら急性胃腸炎と言われた。
自己管理もろくにできない小娘だった。
大学4回生としてスタートしたばかりの21の頃、私は講義をサボっては、男とデートばかりして、寝込んでいたのだ。
そんな不出来な娘の大学費用と奨学金を完済してくれた母には、感謝と自責の念しかない。
卒業論文は入るゼミと、書くテーマが決まったばかりぐらいだったな。
「さあ、これから!」という時期だったっけ。
あと、部活は院大試合に出るかどうするか、という選択で自分は辞退したと記憶している。
だけども後輩に自分がやっていた部活での役職の引継ぎをしようとしていた。
正直言って、わりと好き勝手してたから、先輩にも後輩にも同期にも、全方位まんべんなく迷惑かけたと思う……。(最悪か)
ちなみにちゃんと頑張っていたことのひとつ、就職活動のことだけど。
就職先は、なんとなく選んだ中央出版という大手の印刷会社(たしか教科書とか作ってる)の書類選考に通ったところだった。
で、そこでの集団面接を来週に控えた状態で駆け落ちした。
今思うと……とてつもなくもったいないことだ。