21歳で妻子持ちと駆け落ちした私の話 9

船の中で
船は、どこか切ない乗り物だと思う。
汽笛と煙の尾を引いて、その場をあとにするあの乗り物。
甲板から陸を振り返りってさっきまでいた場所が遠ざかっていくあの感覚には、不思議な哀愁というか、どうにも言葉にならない哀惜を感じたりするのだ。
そういうなにかしらの魔力が働いてるのだと。
ああ、どうかそうだと思いたい。
閉ざされたあの空間で「ふと魔が差した」とでも言えれば、まだ救いはあった気がするから。
そしたら──Kくんと別れることにはならなかったかもしれない。
だけど、現実は残酷なほど欲望に忠実だった。
私は結局、Kくんより浮気相手の方を好きになった。
だけどそれすら後悔している。
後輩ちゃんに言った言葉は、まさに自分に向けて言ったも同じこと。
一体どういう経緯で、誰と、そうなったか。
前回でも言った通り、キッカケは船の中だった。
フェリーでの夜
試合を終えてその日の内に乗ったフェリー。
応援して疲れた私は、仲間との雑談もそこそこに部屋(というより二段ベッドになっててそこをカーテンで部屋みたく区切った空間)で休んでいた。
でも出場者はおかしなもので、誰より疲れてるはずなのに、どうにもうまく寝付けずにいたらしい。
一度は解散し「おやすみ」と言い合ったものの、あまりの寝苦しさに起き出して皆で集まっていた。
そうとは知らず私は夜中、お花摘みにエントランスを通りがかった時、雑談に興じてる出場者(別の大学の人もいた)たちを見つけた。
「あり? 出場選手が雁首揃えてココでなにしてんの? 疲れてないん?」
「なんか寝付けなくて。てか試合って応援の方が疲れるん? 奈良さんとか由美さんとか(他の部員)、応援してくれた子の方がめっちゃ寝てんねんけど(笑)」
エントランスにいたのは六人くらい。全員が本日の出場者で、代わる代わる同じことを言うもんだから「そういうもんかぁ」と思って話を聞いていた。
たぶん試合後独特の興奮に包まれていて寝苦しかったんだろう。
しばらく一緒になって話を聞いていた。
試合の話をされても、私は出場していたわけじゃないから内容自体は「ほーん??」ぐらいにしか思えなかった。
一時間くらい、彼らはそうして話していたと思う。
私もせっかくなので一緒に交じって話していた。
試合の話、部活の話、内容は刻々と移り変わり話すネタは尽きなかったが、日付が変わったあたりでさすがに1人2人と減ってきた。
そうしていくうちに、その場に残ったのは私を入れて3人となった。
同級と先輩
残ったこの2人の男性について説明しておこう。
1人は年齢は2コ上なのだけれど、同学年の男子・てっしー(仮名)。
明るい元気な男の人だったな。仮面ライダーがめっちゃ好きだったわ(笑)
入部時期が同じなのに、男子だからという理由を除いても私たちの学年の中で上手くなるスピードがダントツに早かった。
体がめちゃくちゃ柔らかいからか一度も怪我をしたことがなかったなぁ。てっしーは。
超が付くほどの甘党で、ずっとお付き合いしてる彼女がいたのを覚えている。
てっしーはなかなかの男前だった。なによりすごく一途だった。
今は良いお父さんしてるだろうな、って容易に想像できるくらいには。
もう1人は先輩だった。
コーチ先輩と同い年(私の4コ上になる)で、ウチの大学の生徒ではないのだけれど、よく遊びに来ては体操の練習をしていく人だった。
跳馬が上手くて、背が高くて、少し軽薄な感じのする先輩だった。
このね、先輩の見た目がね、実は割と好みだった。
K君には言えずにいたけれど、なんとなく気になる先輩ではあった。
その時点でもうアウトだな、と今なら思うんだけど。
まぁ本当に……見た目はタイプだったモンだから。
ああいうのが私は好きなんだなぁと思い出すたびに思う。
その経験を経てなのか今は顔がいい男は信用出来ない。
男はやはり内面が出来ていてナンボだと思う。
とはいえ、今はいいおじさんだろう。
私も人のことは言えないが、見た目でキュンとすることはもうないだろうな。
おそらくこの先大阪に帰ったとしても、この先輩とは偶然でも二度と出会うことはない。
そんな気がする。
お察しの通り、私の浮気相手とはこの先輩の方だ。
それはなんとなくか否か
話は戻り、人が減った真夜中も私はこの男子2人と雑談を続けた。
話していて、流れはなぜか私の彼氏の話へとなる。
その先輩は聞いた。
「おかやんは普段どういうプレイしてるん?」
あー……下ネタ好きな先輩なんスよ。
そういうトークをわりと普通にしてくる先輩なんっスよ。
まだ救いなのが明るく爽やかーに訊くのと、時と場所をちゃんと選んでる所かな。
とはいえ、内容は下世話なわけだけど。
こういう質問は珍しいわけじゃなくて、わりとちょいちょい普通の会話の中に自然に入れてくる人だった。(好きな体位とかなんちゅことない雑談で聞かれたこともあったな)
で。
私も私で当時は人前でそういう話をすることにあまり抵抗がなく、訊かれたことには真面目に答えるタイプなもんだから、その時もしっかり答えた。(答えるな)
先輩はどんどん質問する。
私は素直に答える。
質問をする。答える。
………ああ、馬鹿ですね。
若い頃の私はなんてバカなんでしょうね。
今なら、こんな軽率なこと、絶対にしない。
これがどういう結果をもたらすか、身を以て知っているから。
実際、話が進むにつれて変な雰囲気になっていった。
道を間違う瞬間
いまなら「変な空気になっても当然だな」って分かるのに、当時は「あれ〜? なんだろうこの空気〜??」ぐらいのユルユルした疑問しか抱かなかった。
危機感の全くないアホな自分を、タイムマシンに乗ってやっぱり殴りに行きたい。
聞きたいことはすべて聞き出したのか、先輩は言った。
「へぇ〜おかやんはそういうのが好きなんや〜」
「………」
漂う雰囲気は妙なままで。言い方はどこか舐め回すように下卑ていた。
てっしーも私も無言だった。
なぜか適切な返答が思い付かなかった。
同意も否定も出来ず、コールタールが全身にまとわりついているようないたたまれなさがあった。
──そうして話は終わった。
そこで「じゃあそろそろ寝るわ」と
先輩の言ったつるの一言で、私たち3人は解散した。
それぞれの寝るための個室に入ったものの、直前の話というか、あの妙な雰囲気がグルグルと脳内を周りどうにも寝付けない。
劣情に駆られているとでも言おうか、とにかく何か落ち着かない、ソワソワとした鬱屈した「ナニカ」が渦巻いていた。
出来るだけ簡潔に、かつ、清廉に書くよう努力したいが、内容が内容なせいか文章ですらどこかやはり変な空気になってしまうことが申し訳ない。
前の方でも説明したがフェリーで予約した寝床は、寝るスペースだけが取られた二段ベットになっていて、カーテンさえ閉めてしまえば小さいながらも一応個室になる。
狭い──それでも高さは1メートルくらいある、ひと一人分なら悠々と寝られる個室だ。
解散してから30分くらい経った頃だろうか。
その先輩が私の個室へと訪ねてきた。
……ここから先は、詳しくは書くまい。
ただ言っておくなら、私は追い返しもせずに先輩をそのまま受け入れた。
嫌ではなかった。
彼氏から貰った指輪を自分から外し、一夜だけと、これきりと、体を重ねたのだ。
「なぜ」と聞かれてもその時はよく分からない。
でもそうして──私は彼氏を裏切ったのだ。
苦々しい思いで瞳を閉じる。
ああ、どんな言い訳も通用しないだろう。
だってそこには──まぎれもない自分の意志があった。
私は「その男と寝てみたい」という欲望を抑えきれなかった。
今の自分が改めてこの状況を顧みても、私の方に多くの非があると思う。
彼氏に対する不誠実さ
危機感の足りなさ
己の予測力のなさ
呆れて目を逸らすことでしか逃れる方法が見つからない。
だとしてもまだ──
まだ、言い訳が許される余地はあった。
「雰囲気に流された」とか。
「一時の気の迷いだった」とか。
そう……言えるものならば言いたい。
けれど。そう。けれども──
抱かれたのはこの一回きりではないのだ。