#55

おかやん

仕事を再開できると信じていた

月に一度、私は会社の午前休を取って、夫と共にハローワークへ行っては

失業給付を受けていた。

その間に、前のクリニックから

「もう一度働かないか?」

と打診はあったのだけれど、

夫は断った。

院長さんに愛想を尽かしていたのもあるし、

体調が働けるほど良くならなかったからだ。

透析は夫から徐々に体力を奪っていたように見える。

生きながらえるための治療であるはずの透析は、

どうにも患者の負担が大きいように私は感じてしまう。

それだけ、腎臓が行ってくれている機能は人体にとって偉大なのだろう。

夫は目標もなく、

ただいつか働けるようになる日を夢見て、

家と病院を往復するだけの日々を送った。

歩けるうちは近所を散歩したりもしていた。

あと、材料がある時は料理を作って待ってくれていたりもした。

夫が家にいる日常は、それなりに平和だった。

毎日特に変わったこともなく、

ただ私が帰ってくるのを待つだけの日々だったように思う。

本人はもっと色々したかったと思う。

せめて目が見えていたのなら、

在宅で絵を描いたりして、

フリーランスとして生きる選択も出来ただろう。

でも、夫にはそれが一切合切出来なかった。

なにをするにしても、目が見えないことが障害になった。

それよりなにより、本人に体力がなかった。

何年も何年もかけて、体力は回復するどころか、

透析するだけで精いっぱいのレベルまで落ちていく。

血圧はどんどん上がり、

薬はどんどんと増え、

「今日は調子がいい」

なんて言葉は次第に聞かなくなった。

失業給付も満額までもらいきり、

そのあとは私の給料と夫の視覚と腎不全の障害年金でどうにか生きていた。

そんなふうにだらだら過ぎ去るだけの毎日に変化があったのは、

夫が職場を離れてから5年目だっただろうか。

ある夜中、夫は脳梗塞になり、救急車で搬送された。





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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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