#39

おかやん

視覚障がい者であることに慣れる

入院が4月で、退院したのはたしか10月か11月くらいだったと思う。

夫はタイミングが悪く、願書を出すのが遅かったがために、試験がその次の年に先送りになった。

約一年、特になにもすることがなく間が空いたことになる。

思い返せば、それで良かったと思っている。

視覚障がい者として、歩き方やら生活やら、

じっくり時間をかけて慣れることが出来たからだ。

目が見えないとそれだけで生活はガラリと変わってしまう。

私も、本人も、毎日を生きるだけで精いっぱいだった。

今まで当たり前に自分で出来ていたことが、

それを境に出来なくなったというのは、

本人にはつらいことだっただろう。

私もとてもイライラしていた。

ちょっとしたことが出来ない夫といることが、正直シンドかった。

お金も仕事も日常にも余裕がない。

入院時はある程度お互いに「距離感」があったが(まぁ離れて生活してたし)、

退院してからは夫が私から離れることは「ない」に等しかった。

もともと「常に一緒にいたい」と思うタイプの夫だったが、

ここからどんどん拍車がかかったように思う。

私への執着心は年々強まるばかりだった。




市営住宅への応募

日々、何もすることもなく、

私は仕事へ、

夫は(引っ越したので)新しい生活に慣れるために、

暮らしていた一年だった。

願書が出せる月が近づくと、

夫は直接「特別支援学校」へ行って、

そこの先生に話を聞きに行くようになった。

引っ越したことを不満に思っていたのか、

学校に通うまでの交通手段にものすごく文句を言っていた。

なので、

前の土地にまた引っ越すことを検討した。

私の決断はすべて夫中心に動いている。

障がい者は確率が高くなるというので、

この年から「市営住宅」の応募をしていった。

広島の市営住宅は抽選で入居できるかどうかがきまるのだが、

新しい住宅ほど入居希望者が殺到し、

3度申し込んだがとにかく当たらなかった。

この頃の「市営住宅申し込み」が本当にシンドかったな。

3ヵ月に一度、会社を遅刻して役所へ冊子を取りに行き、

住宅を選んで短い応募期間内で書類を用意して郵送するのが、

本当に面倒だった。

結果が分かるのが1~2ヵ月後。

今なら電子で申し込めるのだろうが、

当時はそこまで充実していなかった。

市営住宅ってマジ本当無理ゲーだと思う。

まぁ、古くて古い住宅を選んだらすぐに決まったのだが……。






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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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