#38

おかやん

全盲の家族

夫は病院で知り合ったその高校生と仲良くなったが、

それ以上にその子の父親の方ともっと仲良くなった。

この高校生は父・母とともに視覚障害者で(たぶんどちらも全盲)、

症状は忘れてしまったが、本人も目の手術で入院した。(たしか網膜剝離ではなかった)

妹さんだけが普通の視力だった。

なので視覚障害者のエキスパートみたいな人たちだったのだ。

その人たちから、

「特別支援学校」というものがあることを聞いた。

その場所が、引っ越す前の家のすぐ近くだった。

前の家だったのなら、歩いて10分のところにその学校があった。

引っ越すんじゃなかったな~と後悔したものの、

雨漏りする家にはどう考えても住めないので、

これもタイミングだったと思う。

父親から学校の存在を知って、

夫はその学校へ入学したいと思うようになった。





その時の金銭状況

役所で申請したら、

夫は視覚障がい者1級となった。

右目2級の左目も2級という判定で、

合わせて1級という判断だ。

申請がむちゃくちゃ大変だったけど、

どうにか障害者年金ももらえるようになった。(何度も却下を食らったけど)

あと、入学の間だけ、

生活保護を受給することにした。

申請するにあたって、共産党の……生活保護を支援するような団体の人と関わることになった。

(↑なんていう団体名か忘れた💦)

この方の支援のおかげで、

生活保護受給の許可はかなり楽に通った。

ちなみに入院中は「高額療養費制度」を使って、

どうにか生活していた。

決して楽ではないのだけれど、

生きていけるだけのお金は常にどこかから確保できていた。

給付や申請に関しては、本当に色んな人が知恵を貸してくれた。

入院した病院のソーシャルワーカーさんもその一人だ。

使えるものは何でも使ったし、

出来ることはなんでもした。

常に誰かに助けてもらって生きていた。

「もうアカン!」と思っていても、

案外どうにでもなるものだなぁと、

この時の経験でなんとなく思った。







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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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