#37「どうにか退院できた」

おかやん

ようやっと網膜がつく

眼科病棟の主になっていた夫も、

半年後にはようやっと網膜が貼りついてくれたらしい。

私の勘だけど、

それだけの時間をかけて、血液がようやく変化してきたからじゃないかと思ってる。

糖尿病とはあらゆる方面において、治療に時間がかかるのだ。

わりとおしまれつつ、夫は退院した。




そういえば引っ越しをしていた

書き忘れていたが、夫の入院中に、私は引っ越しをした。

会社にほど近いレオパレ〇に移動したのだ。

理由は前にも書いたことがあるが

天井からの水漏れだ。

2回目だから1回目ほどの恐怖はなかったが、

それでも玄関から水が家の中に侵入してくるのは嫌だった。

入院中に夫にそれを伝え、

夫がそれはもうすごい剣幕で病院からレ〇パレスへ怒鳴り込んでくれた。

よほどそれが恐ろしかったのか、

引っ越し代すべてレオ〇レスもちで引っ越せることになったのだ。

あちら側には色々と申し訳ないとは思ったけれど、

大雨が降るたびに家に水が入ってくる家に住むのは無理だ。

私は会社が近くなったので、通勤がめちゃくちゃ楽になったので喜んでいた。


余談だが、入院中、何度か外泊でその家で過ごしていた夫だが、

その家に初めて来た時

「ウチの家に来るのは初めてやなぁ」

と言った一言に夫はひどく傷ついたらしい。

私が「二人の家」という感覚ではないことに

ショックを受けたのだと。

そこは「ごめん」としか言いようがないが、

ずっと入院していれば、私の方も感覚が変わってしまう。





退院してまずしたこと

夫は視力をほぼ失った。

網膜剝離したほうは光だけを感じる能力が残り、

反対側の左は

度重なるレーザー治療によって、

針の穴のような部分だけ見えるという視界になった。

身体が「見るための機能」そのものを失っているため、

夫の場合メガネなどでの矯正が不可能だ。

まず必要なのはお金だ。

だって、目が見えないから今までみたいに働けないわけだし。

退院して最初に行ったところは役所だった。






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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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